古代エジプトの神はキノコを使って神託を下すのか?

結論から言えば、「わかりません」です(笑)
そもそも幻覚作用のあるキノコがエジプトの地にあったのかさえ分かりませんし。

それでも古代エジプトの神託について、調べてみました。

 神に神託が求められたのは、神像がふつうは特定の祭礼の折に、神殿と神殿を結ぶ参道を運ばれる時であった。神像はいつもは神殿の中でもっとも暗い至聖所に隠されていたため、一般のエジプト人にとって、実際に神に近付く機会があるのはこの時だけだった。だれかが神に(話すか書くかのどちらかで)お伺いをたてると、聖舟の神輿を運んでいる神官たちはイエスかノーかの簡単な答えを示すために聖舟をいずれかの方向に傾けることができた。

古代エジプト百科事典 p251「神託」項目より

担ぎ手が休息をとり、神官が香を焚いて、食物や飲み物を供え、さらに呪文を朗唱するなど定められた儀式を執り行うために、行列は時おり立ち止まった。これは神が神託によって「お告げ」をする時でもあった。もしお伺いに対する答えが「イエス」ならば担ぎ手は(そして担がれている神像も)会釈をするか、または前進し、答えが「ノー」ならば後戻りするのだった。

古代エジプト生活誌 下巻 p186より

庶民は神殿でも神にお伺いをたてることを許されており、そのため、例外的に特別な拝謁の間に入ることを許されていた。神の答えは壁面の高い位置に隠された窓、または内部が空洞になった像のなかから、神官が歌うように節をつけて告げるのである。お伺いは書面で行うことも出来、デイル・エル・メディーナから出土したオストラコンに残された短い文章からそれを知ることができる。
古代エジプト生活誌 下巻 p188より


あとは小説ですが、ミカ・ワルタリ「エジプト人」で、生命の家に入る資格を問われたシヌヘが、神官が化けた太陽神の像から罵詈雑言めいた神託を受けて、信仰心を失うくだりがありますね。


エジプトの神託って、マジックマッシュルームを使うような妖しい雰囲気のものじゃなくて、どっちかというと日本の神社にもある人為的な「おみくじ」みたいな印象を受けてしまったんですが、どうでしょう?